大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和62年(ネ)173号 判決

控訴人

二宮静

二宮ヒサ

右両名訴訟代理人弁護士

東俊一

立野省一

被控訴人

乙野二郎

右訴訟代理人弁護士

菅原辰二

主文

一  原判決を取り消す。

二1  被控訴人は控訴人二宮静、同二宮ヒサに対し、各六六六万六二三九円ずつ及びこれらに対する昭和四九年一二月一八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを二分し、その一を控訴人らの、その一を被控訴人の各負担とする。

四  この判決は、主文第二項1につき仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人ら

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人は各控訴人に対し、各一二一三万七六三二円ずつ及びこれに対する昭和四九年一二月一八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(四)  仮執行の宣言

2  被控訴人

(一)  本件各控訴を棄却する。

(二)  控訴費用は控訴人らの負担とする。

二  控訴人らの請求原因

1  控訴人らの二男威(昭和二二年五月三〇日生、以下「威」という。)は昭和四九年一一月一二日被控訴人経営の乙野外科に入院治療中であったが、同年一二月一七日午前六時ころに急性心不全により死亡した。

2  威の死亡は医師である被控訴人の次の診断及び治療の過誤により発生した。

威は大工をしていたが、昭和四九年一一月一二日午後四時一〇分ころ家屋の取壊工事中に二階の床板を踏み抜き約三メートル下のアスファルト舗装道路上に頭部から転落して、直ちに付近の乙野外科に入院し、左鎖骨骨折等の手術による治療を受けた。診察をした被控訴人乙野医師としては、威が右事故で頭部を強く打ち意識不明の上四肢が硬直した状態で入院し、その清明後に激しい頭痛を訴え約二週間後ころからは断続的に激しい頭痛と吐気を訴えていたので、転落の際の頭部外傷により慢性硬膜下出血を生じて血腫となりそれがゆっくり増大し相当期間の経過により脳実質を圧迫するなどして身体的、精神的症状を呈するようになり、それが誘因となって急性心不全を起こし死亡させることがあるので、その診断をした上適切な治療をすべき医師としての注意義務があるところ、被控訴人はこれを怠り、入院後間もなく頭部レントゲン写真を撮影し、これにより異常がない旨診断し慢性硬膜下血腫の診断をしなかった過失がある。

3  その結果、威は慢性硬膜下血腫が原因となり入院から三六日後の前記日時に急性心不全を起こして、死亡するに至った。

4  そうではないとしても、被控訴人は威との間に診療契約をしたが、右診療契約に基づき適切な検査(例えば脳血管撮影、脳波検査等)をした上診断し、治療する旨の義務を負っていたところ、その義務を誠実に履行しなかった債務不履行があり、これにより威を死亡させた。

5  損害 各一二一三万七六三二円

(一)  威の逸失利益と各控訴人の相続

威は死亡当時二七歳で大工として賃金センサス昭和四九年度の建設業、中・高卒、年齢毎に増額されるものとして就労期間六七歳までこれを積算し、ホフマン式で中間利息を控除した現在高は、合計三八五五万〇五二九円となり、これから生活費として半額を控除した一九二七万五二六四円が逸失利益となるところ、控訴人二宮静(以下「静」という。)はその父、同二宮ヒサ(以下「ヒサ」という。)はその母として、法定相続分に従い各二分の一の九六三万七六三二円ずつ相続し取得した。

(二)  各控訴人の慰謝料

控訴人静はその父、同ヒサはその母として、固有の精神的苦痛を被ったから、その慰謝料は各二五〇万円ずつが相当である。

6  よって、各控訴人は被控訴人に対し、不法行為に基づき、そうではないとしても診療契約の債務不履行に基づき、各一二一三万七六三二円及びこれに対する不法行為以後のそうではないとしても債務不履行後の昭和四九年一二月一八日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被控訴人の答弁

1  控訴人らの請求原因1の事実(威が被控訴人の病院に入院中に死亡したこと)は認める。

2  同2の事実(診断の過失)は否認する。被控訴人には威の慢性硬膜下血腫につき診断の過失がなかった。すなわち、

(一)  威から間欠的な頭痛、吐き気の訴えがなく、威につき、頭部レントゲン写真による判定結果、各診察の際の顔貌、意識精神状態の変化、顔面頚部各器官の変化、四肢の運動麻痺や痙攣の有無、瞳孔の変化等の入院中における随時の継続観察結果には、何らの異常が認められず、慢性硬膜下血腫の疑いがなかった。

(二)  当時の医学上の知識としても、威のような場合に硬膜下血腫を生ずるということは一般的に承認されておらず、又、当時はCTスキャン、MRIなどの診察用の機械が一般的に普及されていなかったし、その他の検査器具は被控訴人の病院に備え付けされていなかったから、被控訴人の慢性硬膜下血腫の診断ができなかったことは止むを得なかった。

(三)  従って、右威の症状、当時の一般的な医療水準からみて、被控訴人が威の慢性硬膜下血腫の診療をしなかったことには何ら過失がない。

3  同3の事実(慢性硬膜下血腫と死亡との因果関係)は否認する。

4  同4の事実(債務不履行)は否認する。被控訴人は威との診療契約に基づき検査その他必要な診断、治療を誠実に行っており、それをすべきであるのに怠ったというようなことは全くない。ことに、脳血管撮影の検査は副作用が激しく止むを得ない場合に限るべきところ、威についてはその必要がなく行うべきではなかった。

5  同5の事実(損害)は争う。

四  証拠関係〈省略〉

理由

一控訴人の請求原因1の事実(威が被控訴人の病院に入院中に死亡したこと)は当事者間に争いがない。

二診断の過失について

1  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  威は、建設業人夫として昭和四九年一一月一二日午後三時四〇分ころ家屋解体作業中家屋二階の床板を踏み抜き約三メートル下のアスファルト舗装道路上に頭部から転落し、頭部挫創(左側頭部の耳の上付近に長径約四センチメートル、短径約二センチメートル、高さ約七ミリメートルの瘤ができていた。)、左上腕の骨折等の傷害のため、直ちに付近にあった外科、整形外科、胃腸科、麻酔科を専門とし、医師は被控訴人だけの被控訴人経営の病院に入院した。

(二)  医師である被控訴人がその診断、治療に当たり、入院当初は威の手足が硬直状態で意識がなく約四〇分後に意識を取り戻したものの自分がどうしてそこにいるのか理解できない状態で失禁もあった。被控訴人は左上腕の骨折につき直ちにその診断の上手術をしその後その治療をしたが、頭部の傷害については、入院の際レントゲン写真を撮影しその写真では頭部に骨折がないことを確かめただけで、頭部には脳内部を含めて全く異常がないと診断した。

(三)  威は、入院後約一時間して意識が清明しその後断続的に激しい頭痛を訴え、その痛さもあり眠れないというので被控訴人は睡眠剤を何度か投与した。約二週間後には、激しい頭痛、吐き気を訴え、話の内容が以前と相違してとりとめがなく、異常な精神症状を呈していたが、被控訴人は何ら診断のための検査をしなかった。これらの症状については、控訴人ら及び見舞にきた者らも少なくても約二週間後ころから気付いていた。

(四)  脳の表皮の下には、硬膜、くも膜、軟膜、その内側に脳実質があるが、慢性硬膜下血腫は、頭部の比較的軽度の外傷で脳表面にある静脈が破れ、硬膜とくも膜との間にゆっくり出血し、膜を作って血腫となり、その膜の中に少しずつ出血しそれが溜まって血腫が次第に大きくなり、通常約二週間から一か月後(時には数か月後)にその血腫が脳実質を圧迫して脳内圧の亢進を生じ、脳内の神経を圧迫して、身体症状として頭痛を訴え吐き気を催し、異常な精神症状を示すに至り、症状は良くなったり悪くなったりを繰り返し、次第に頭痛も持続性となり、何となくぼんやりとして、うとうとと眠くなる等の症状が一週間以上続いた場合にはまず慢性硬膜下血腫を疑うべきである。

(五)  その診断は、現在では、CTスキャン(その映像から直接にその時点における症状が確定できる。)、脳血管撮影(血腫のため脳表部の血管が圧排されて映らなくなりいわゆる無血管野が生じ、慢性硬膜下血腫の診断確定の決め手となる。)により診断を確定しているが、本件当時には、脳波検査(血腫側に脳波の異常が見られると、硬膜下出血に特有なものではないが、脳内部の病変があることは診断できる。)を参考とし、脳血管撮影により確定していた。その治療は、右初診当時既に確立され(頭部に小さな孔を開けて血液を取り出すことなど)、その予後も良く完治するが、放置すると死亡に至ることの多い疾患である(〈証拠〉)。右被控訴人の診察当時には未だCTスキャンがなく、又、当時の一般外科の開業医院では、殆ど脳血管撮影、脳波検査の医療機器の備え付けがなく、その疑いがある場合脳神経外科医の協力を求めて診断、治療をしており、被控訴人の場合も、威が入院から約一か月後に死亡するまでの適切な時期に、新居浜市の周桑病院(木下医師)、日本赤十字病院(碁石医師)その他の総合病院の脳神経外科医師の協力を求めて、その診断、治療をすることができた。

(六)  一般通常人としても、前記(一)の状態で頭部傷害を生じその症状を呈している場合、左腕の骨折よりはむしろ頭部の傷害に重点を置いて診断、治療を求めるものであり、威を連れて来た清水らもそれを当然期待して被控訴人に対し、真先に頭部の異常がないかを尋ねているし、被控訴人は、一般外科医で脳神経外科医ではないとしても、初診から死亡までの間前記の点に留意して診察すれば威の前記各症状からみて、脳内部の病変を疑い直ちに診断、治療につき脳神経外科医の協力を求めるべき医師としての注意義務があった。しかし、被控訴人は、右注意義務を怠り、前記頭部レントゲン写真で一般外科医として頭部に骨折がないかとの点からみてそれがないことを確認し、診察時に一般的な外観による観察をしたのに止まり、頭部ことに内部に病変がないと診断し、前記硬膜下血腫の診断、治療をしなかった過失がある。

以上のとおり認められ〈る〉〈証拠判断略〉。

2  右1認定の事実によると、被控訴人には右認定の慢性硬膜下血腫の診断に関し過失があるということができる。

三因果関係について

〈証拠〉によると、控訴人らは被控訴人が威の死因を明らかにするため解剖したい旨の申込をしたのに拒否したため、現在では医学上死因を確定できず、威がその直前に頭部に外力が加わって大出血を起こしたか、威が早朝の気温が低下した状態で失禁した衣類を取り替えた際に心臓の発作、肺塞栓を起こしたものであり、慢性硬膜下血腫で死亡することは極めて稀である旨強調する。しかし、右認定のように、慢性硬膜下血腫を放置すると死亡に至ることが多いとされており、又、右に挙げる外力のための大出血、心臓発作、肺塞栓を疑うことのできる的確な証拠がないので、右鑑定等はにわかに採用し難い。かえって、本件の全証拠からみる限り、前記認定のように慢性硬膜下血腫を示すとみられる症状があるので、威はそれに罹患していたものと推認でき、〈証拠〉によれば、それが死因となった可能性があることも否定できないというのであるから、威の慢性硬膜下血腫と死亡との間には相当因果関係があり、威はこれにより死亡したものとみるのが相当である。

四損害額について

1  逸失利益

(一)  威は死亡当時二七歳で六七歳まで就労でき、賃金センサス昭和四九年版企業規模計男子労働者新高卒二五歳〜二九歳による年収は一七六万九八〇〇円{(118,500×12)+347,800=1,769,800}、生活費として四〇パーセントを控除し、ライプニッツ方式により中間利息控除後の現在高は一八二二万〇七九八円{1,769,800×17.1590×(1−0.4)=18,220,798}となる。

(二)  〈証拠〉を総合すると、威は独身で子がなく、控訴人静が実父、同ヒサが実母でその相続人であることが認められ、各控訴人が各法定相続分に従い威の右(一)の損害賠償請求権を各二分の一の九一一万〇三九九円ずつ相続し取得したものである。

2  前記各認定事実、説示によると、控訴人静は実父として、同ヒサは実母として、威の死亡により、それぞれ威とは異なった固有の精神的な苦痛を受けたものということができ、民法七一一条によりその慰謝料を請求することができ、その額は各二〇〇万円とするのが相当である。

3 しかし、前記二認定の事実によると、威と同じ職場の清水らが威の転落後直ちに応急的に一般外科医である被控訴人の病院に入院させたことは止むを得なかったとしても、控訴人らは威の入院後に被控訴人が一般外科の医師であり、頭部の病変の診断に必要な最新の医療機器の備え付けがなく、これを前提とした的確な診断を期待するには不適当であることを知っていたものとみられ、威の前記頭痛の症状などより脳内部の病変を知り、又は知ることができたものといえるから、その応急措置後なるべく早期に、少なくても威が慢性硬膜下血腫の症状を示したころ(入院の二週間後ころ)には、控訴人らは被控訴人に対し、脳神経外科医の協力を求めてその診断、治療をして欲しい旨申し出をし、被控訴人がそれに従わない場合には脳神経外科医のいる病院への転院を申し出るべき注意義務を負うものというべきところ、控訴人らは全くその処置を採らなかった過失があり、この被害者側の過失は、損害額の算定につき斟酌すべきもので、その割合は四〇パーセントとするのが相当であり、前記1、2の合計額各一一一一万〇三九九円につきこれを控除後の額は、各控訴人につき各六六六万六二三九円ずつとなる。

五以上のとおりであるから、不法行為に基づく損害賠償として、被控訴人は各控訴人に対し、六六六万六二三九円ずつ及びこれに対する不法行為以後の昭和四九年一二月一八日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。債務不履行による損害賠償としても右金額以上に支払義務を負うものではない。控訴人らの本訴請求は右の限度で理由があるので認容し、その余は理由がないので棄却すべきところ、これと異なる原判決は相当ではないので、これを取り消した上、右説示のとおり一部を認容しその余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条の規定に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙木積夫 裁判官孕石孟則 裁判官高橋文仲)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例